2017年12月22日金曜日

第14回哲学ジャム@函館の報告

函館の「根雪」は観測史上最速で,積雪は平年の4・5倍だそうです。そんな中をみなさん集まっていただきました。今年最後の哲学ジャムは,12月17日に開催された教育大学の哲学カフェの模様などを参加したMyさんに話していただいたり,今年話されたテーマを振り返ったりすることから始まった。話をしているうちにChさんが「最近数学を勉強したくなった」というので,テーマを「数学」に絞った。

後でわかったことだがChさんが数学を勉強したくなった動機は孫と共通の話題が欲しかったということだった。しかし話はChさんが印象に残ったと言う『博士の愛した数式』という映画の話になり,そこに出て来た「完全数」の話になる。たまたまこの日はMyさんとFさんが数学に詳しいということもあり,わかる範囲で説明してもらった。ChさんやMsさんは数学が苦手だと言い,その理由として数学と実生活との乖離があるのではないかと疑問を呈した。これに対しMyさんは,確かに数学者同士は,数学の言葉で話が通じてしまうところがあり,それはなかなか一般の人にはわかりにくいかも知れないとコメント。Fさんは自分の経験から,数学の世界に深く入ってしまうとその謂わば単純な世界に慣れてしまい,現実世界の方がむしろ複雑でわかりにくいものになると言う。実際,三角関数が現実の生活にどう関係するかなどは一般には縁のない話だ。もし三角関数の勉強が一般の何かの役に立つとしたら,数学においてはすべてが積み重ねで成り立っているということかもしれない,とMyさん。確かにユークリッド幾何学も定義と公理をしつこいくらいに確認しながら証明を進めている。基礎的なものの積み重ねの上にしか重要なことは築かれないということを知る手立てとなるのかもしれない。

数学の言葉と同様に,哲学の言葉にも専門家の中でしか通用しないものがあるのではないかとMyさん。哲学の言葉は,その言葉が向かう相手によって随分変わったものになる。数学の場合は学習者がその世界に入っていくのが普通だろうから,その点はあまり意識されないが,哲学の場合は学者以外の一般の人も各人がそれなりの「哲学」を持っていると考えているからそれぞれの言葉の意味が深浅様々な齟齬を生み出しがちである。例えばプラトンの哲学は対話篇という形で残っているから,対話の相手は一般の青年から老練なソフィストまでさまざまである。しかし相手がどんな人であれ,主な対話者であるソクラテスはその議論を一般的な日常言語のレベルまで一旦引き下げ,専門家の内輪話になるのを許さない(前期対話篇)。このレベルでの議論を深めようとすると,やはりプラトンも対話の設定を変えて議論を深めやすい対話相手を選ぶことになる(後期対話篇)。対話篇としては残らなかったアリストレテスの著作はこの議論の深まりの延長線上にある,端的な思考の運動を追ったものと見ることができる。そこに議論を精密化するための専門用語が生まれる。専門用語は議論の精密化のために必要かもしれないが,その操作に習熟したからといって本来の議論が理解できているとは限らない。理解できているかどうかは素人にその説明ができるかどうかに掛かっている。以上今回のまとめとします。

次回の哲学ジャムは「ジャム+」として,カントの哲学の一節を読み,議論してみたい。カントの「専門用語」をどこまで日常的な言葉のレベルまで噛み砕けるか,楽しみである。新年1月13日(土)午後2時からの予定です。

2017年12月12日火曜日

第14回哲学ジャム@函館開催のご案内

第14回哲学ジャム@函館開催の日程が決まりましたのでご案内します。

日時:12月19日(火)午後6時半から
場所:元町「まるたまスクエア」(0138-76-1379)

今年最後の哲学ジャムです。今年の締めのテーマは何になるでしょうか。みなさん,どうぞ今年最後に話してみたいテーマをお持ち寄りください。いつものように,参加費は無料ですが,場所を提供してくださっている「まるたまスクエア」のいずれか一品を注文していただく必要があります。収容人数に限りがありますので,初めてご参加の方は下記:鎌田までご連絡ください。

「哲学ジャム@函館」主宰:鎌田雅年(080-3117-2990)

2017年11月23日木曜日

第13回哲学ジャム@函館の報告

今回のテーマは「心の強さ」とは何か。ある方から,「教え子が社会に出てから心の強さを持つことが必要になっているようだ。哲学をすることで心の強さを得られるのではないか」という話を聞いた。前回の哲学ジャムの報告でたまたまストア派の「不動心(アパテイア apatheia)」に触れたので,それらを絡めたら一つのテーマになるのではないかと考えた。最初にChiさんが「不動明王」というのと何か関係があるかと発言。詳しい人はいなかったのでネット検索してみると,密教経典に「不動明王とは釈迦が悟りを開いた菩提樹下の座禅中に煩悩を焼きつくしている姿」とある。煩悩を焼き尽くしたということであれば,ストア派の情念(パトス)に動かされない(ア)というア・パテイア(不動心)にも通ずるところがある。しかし前者は釈迦の悟りの境地であり,後者は「賢人の理想」であるから,われわれはもう少し身近な「心の強さ」を考えた方がいいのではないかとMyさん。ここで別の角度からTさんが,病気をしたときに,自分の弱さを自覚したが,それも一種の強さのような気がすると言う。そこで教育大生のMiさんが,自分としてはそういう弱さを見せないで仕事なら仕事をするのが心の強さだと思っていると意見。若いうちはなかなか自分の弱さを曝け出すことはできないかも知れないと年長者たちの共感の発言あり。しかしそういう強さにハマってしまうと自殺などに追い込まれかねないと私。ここで教育大生のKさんが少し議論を整理して,ここまでの議論では心の強さを頑固のイメージでとらえているようにみえるが,不動心というのは理性に従うことで到達できる境地だから,頑固とは違うのではないかと発言。これに対しMyさんが,強さといっても鉄の硬さのような強さと,柔軟な強さとは別ではないかと応じた。Msさんは,自分はテーマが決まってから心の強さというより心の弱さのことを考えていて,不動心どころか,いつもああしたらいいのではないか,こうしたらいいのではないかと揺れる自分がいる。しかし後で考えてみるとその揺れの割にはあまり動いていない自分に気づくと言う。Msさんはこれを弱さと考えているようだが,それでも結局あまり動いていないというのは強さと見てもいいのかもしれないと私。心の強さといっても一本の線のようなイメージではなく,ある程度幅のある間を揺れ動いて自分を律して行くというのが現実ではないか。その揺れを肯定的に見ると,幾つかの複数の視点から自分を見ることができる融通性というか,柔軟性が強さにつながるとも思われる。このような強さは一つの価値観しか持たない硬直した「強さ」とは対極にある。以上を今回のジャムのまとめとします。

次回は12月19日(火)に開催予定です。

2017年11月13日月曜日

第13回哲学ジャム@函館開催のご案内

第13回哲学ジャム@函館の開催日程が決まりましたのでご案内します。

日時:11月21日(火)午後6時半より
場所:元町「まるたま小屋」(0138-76-3749)

哲学ジャムの要領はいつもの通りですが,会場がいつもと違い,少し山側に登ったところにある「まるたま小屋」ですのでご注意ください。参加費は無料ですが,「まるたま小屋」のいずれか一品を注文していただく必要があります。収容人数に限りがありますので,初めてご参加の方は下記:鎌田までご連絡ください。

「哲学ジャム@函館」主宰:鎌田雅年 (080-3117-2990)

2017年10月26日木曜日

第12回哲学ジャム@函館の報告

前回の「安楽死」というテーマは「人間とは何か」という問題に突き当たったところで終わった。それで今回はそこから話を始めようと私から提案し,前回の報告の最後に紹介した石黒浩の「最後の講義」の話をして議論の参考にしてもらった。「人間はロボットになる」というかなり衝撃的な結論なのだが,その点について自分はロボットになりたいかと尋ねてみた。みなさんなりたくないという意見だったが,その理由は様々だ。Msさんは人間はロボットみたいに整然と考えたり,行為したりないのではないか。もっと迷ったり,変節したりするのではないか,という意見。また多かったのは,人間には感情があるが,ロボットにはないという理由。以上の理由からわかるのは感情や迷いなど,どちらかというと非理性的な部分をみなさんは「人間らしさ」として捉えているということだ。しかし昔から人間を動物から区別するのは,言葉を話したり,論理的に考えたりできること,つまり理性的な能力と考えられてきた。プラトン『プロタゴラス』の中の「プロタゴラスの大演説」でプロタゴラスは,プロメテウスが火と技術を人間にもたらし,さらにゼウスが政治の技術を与えたと言う。この政治術の習得には個人差があり,自分を含めたソフィストはその教育を助けるのだと彼は主張する。政治術あるいは徳という点に関してどんなに劣った人間でも動物よりはずっと優れているとも言う。プロタゴラスは技術あるいは徳を教育可能とみているが,その点はソクラテス・プラトンも同様で,極めて論理的な作業を伴うと考えられている。ただプロタゴラスとプラトンとはその教育観が全く異なるということだけは断わっておく。このように人間の人間たる所以を理性あるいは知性に求めることの究極にロボットという在り方があると石黒は考えているようだ。再び「人間とは何か」という問題に戻ったが,Mfさんは当初にロボットの定義は何ですか,という疑問を呈していた。ロボットの定義は人間の定義と裏表になると考えていたが,つまりロボットの定義に当てはまらなければ人間であり,人間の定義に当てはまらなければロボットということになると単純に考えていたが,どうやらそうも行かないらしい。理性的な能力を完全に遂行できる人間は一見ロボットのように見えるかもしれないからだ。かつてストア派の賢者の理想とはそのような不動心を持った人間であった。この哲学ジャムに参加しているみなさんはしかし,むしろ人間の感情や一種の弱さに人間らしさを見ている。この人間観の違いは容易に埋められないようだ。あるTV番組では感情も遺伝的な蓄積の結果だとすると,時間はかかるかも知れないが,ディープラーニングによってロボットも感情を見につけることができるかも知れないという話をしていた。しかしそれは人間に近づくことではあるとしても,ロボットにとっていいことなのかどうかわからない。われわれ人間が感情によってどれだけ苦しむかを考えてしまう。以上,今回のまとめとします。

次回は11月21日の予定です。

2017年10月9日月曜日

第12回哲学ジャム@函館開催のご案内

第12回哲学ジャム@函館の開催日程が決まりましたのでご案内します。

日時:10月17日(火)午後6時半より
場所:元町「まるたまスクエア」(0138-76-1379)

今回は通常の哲学ジャムです。お互い気になるテーマを持寄り,その中から一つ,二つテーマを選んで意見を交換したいと思います。前回の「安楽死」のテーマをもっと深めるというのもいいのではないでしょうか。参加費は無料ですが,「まるたまスクエア」のいずれか一品を注文していただく必要があります。収容人数に限りがありますので,初めて参加される方は下記:鎌田までご連絡ください。

「哲学ジャム@函館」主宰:鎌田雅年 (080-3117-2990)

2017年9月20日水曜日

第11回哲学ジャム@函館の報告

今回の哲学ジャム@函館は都合によりいつもの「まるたまスクエア」のちょっと上手の「まるたま小屋」での開催となった。店の雰囲気がちょっと違うのでまた別の気分での哲学ジャムとなった。今回のテーマは「安楽死」。Tさんが橋田寿賀子の安楽死についての本を読んだという話がきっかけだ。私自身あまり考えたことのないテーマだったので,Tさんに説明してもらった。先ずは安楽死と尊厳死の違い。日本ではどちらも法的には整備されていないようだが,前者は前例がなく,後者は事実上,本人や家族の同意のもとに行われているとのこと。安楽死は日本以外ではスイス・ベネルクス三国・アメリカの一部で合法化されている。どうもプロテスタントの宗教的背景もあるように思われるが,これは難しいので掘り下げられなかった。安楽死と尊厳死はそれぞれ積極的安楽死,消極的安楽死とも言われる。死へのプロセス,あるいは本人の姿勢が異なり,安楽死は寿命を縮めても苦痛からの解放を求めるが,尊厳死は本人の意に反する治療行為を拒否する。つまり前者は肉体的・精神的苦痛からの解放を目的とし,後者は人間としての尊厳を守ることを目的とする。出席は女性6人だったが,ほとんどが安楽死に賛同していた(と記憶している)。みなさん,年齢的にも親や祖父母を看取っている人が多く,その看取りが自分の死についての考え方・見方に随分影響していることがわかった。Mさんは義理の母を看取ったことで,人間がどう死んで行くかを知り,それほど怖いものではなくなったと言う。Tさんは夫も娘も看取ったことで自分一人で死ぬ覚悟ができたようだ。Chさんは父親の死に際の言葉が未だに重荷となっていると言う。Fさんは『92歳のパリジェンヌ』という,母の安楽死を巡る家族の様々な思いを描いた映画の話をしてくれた。安楽死の問題をちゃんと扱おうとしたら,「人間とは何か」という問題に行き当たる。本当はここから哲学ジャムが始まるはずなのだが,いつも大体こういう壁に行き当たった時点で時間切れとなる。奇しくも,今回テーマが出なかったときのために私が考えていたテーマの一つが「人間とロボット」。実は事前に「最後の講義」というテレビ番組で石黒浩というロボット工学の専門家がその講義を行ったドキュメンタリーを見ていた。講義の最後のメッセージが「人間はロボットになる」というもの。彼の根本的な問題意識は「人間とは何か」ということであり,先のメッセージはその問いに対する彼なりの答えなのだが,人間がロボットになってしまったら,安楽死はなくなるだろう。死そのものがなくなるのだから。しかし脳をコンピュータに置き換える可能性については否定的な意見も多い(R・ペンローズやJ・P・サールなど)。こういう問題についてはまたテーマにする機会もあるだろう。

最後に自分が死ぬときに誰に看取ってもらいたいかと尋ねると,少なくとも4人は誰にも看取られず一人で死にたいと答えた。これは私としては驚きだった。誰でも結局は誰かに看取られたいのではないかと思っていたからだ。孤独死は別とすると,一人で死ぬとしても医者か看護師はいるだろうが,それにしても意外な答えだった。いざとなるとやはり女性は強いのか。

次回の予定は10月17日(火)です。

2017年9月12日火曜日

第11回哲学ジャム@函館のご案内

第11回哲学ジャム@函館の開催日程が決まりましたのでご案内します。

日時:9月19日(火)午後6時30分から
場所:元町「まるたまスクエア」(0138-76-1379)

今回は通常通りの哲学ジャムです。どうぞ気になるテーマを持ち寄って来てください。当日その場で,その中からみなさんが話したいテーマを選んで意見を交換したいと思います。なお,この日は「まるたまスクエア」の都合で食事はいただけません。場所だけ提供していただくことになりますので,飲み物などはご持参ください。なお,場所代を少しだけカンパしていただこうと考えています。初めて参加を希望される方は下記:鎌田までご連絡ください。

「哲学ジャム@函館」主宰:鎌田雅年 (080-3117-2990)

2017年8月29日火曜日

第10回哲学ジャム@函館の報告

 第10回は「哲学ジャム+(プラス)」としてデカルト『省察』第二省察末尾のいわゆる「蜜蝋の分析」を読み,哲学的思考の醍醐味を味わってもらうという企画。当該箇所は蜜蝋という具体例を巡って,わかり易そうに書かれているのだが,内容は難解だ。以前読んだときにとても印象的な箇所だったのでもう一度ジャムのみなさんと一緒に読んでみようと考えた。デカルトが蜜蝋という具体例を持ち出したのは,一旦常識的なレベルまで戻り,彼がそこまでに到達していた「考える私」の確実性を,その地点から出発して再び捉え直すためであった。しかしその捉え直しのプロセスにおいて単なる感覚であったもの(見ること)や想像の能力に思惟作用が加わり,「見ると考える」や「…と判断する」といったように,感覚や想像が思惟の一形態として捉えられるようになる。デカルトは「蜜蝋そのものを見る」というような日常的で曖昧な物言いと比較しながら,感覚によっては蜜蝋そのものを捉えられないことを示し,実体という言葉を一度も使わずに,実体(この場合は蜜蝋そのもの)を捉えることができるのは精神だけであることを示そうとしている。
 第二省察の第10節から最終節までを読みながら,ざっと以上のような説明を加えた。哲学ジャムらしく,途中でいくつか解釈のポイントとなる点では私から質問を投げ掛けた。「想像によって無数の変化を辿ることができない」とはどういうことか。「延長が大きくなる」と言われているが,実体の第1の属性としての延長は変化しないものではなかったか。衣服と帽子の下に自動機械が隠れているにもかかわらずそれを人間そのものと判断することができるのはなぜか。などなど。ここから例えば古代のゼノンのパラドクス(アキレウスと亀)に話が及んだり,デカルト哲学の基本概念(延長実体と思惟実体),さらにチューリング・テスト(コンピュータと人間を区別するテスト)に話を展開することも可能であったが,今回は示唆にとどまった。
 最後に参加者の疑問を2つ。Chさんの疑問として,このような考察を読んでも,それを日常的に話す相手がいない。少なくともこの哲学ジャムなどの場では話せるが,それでいいのかという疑問が語られた。(以下私)確かに哲学的な議論をする場というのは日常的にはほとんどないだろう。そのためにこの哲学ジャムもあるのだが,どちらかと言えば哲学ジャムは非日常だろう。日常的には哲学的な議論というのは専ら自分との対話という形でなされると考えた方がいい。今日読んだデカルトの『省察』も自問自答の形を取っているところが多い。しかしデカルトは『省察』を出版する前に当時の哲学者たちに読んでもらって反論を受け,反論とともにそれに対する答弁を付して出版している。哲学ジャムでの議論も,自問自答もいずれ他の批判に曝される覚悟が必要ということは言っておきたい。
 Tさんの疑問として,哲学ジャムでの議論と,自分が読書や講演会などで得た知識とをどうつなげたらいいのか悩んでいる。(以下私)自分の勉強とここでの議論との落差が大きいのだろうけど,先ずはその落差の認識が大事かもしれない。自分の中にうまく折り合わない考えがあるのはむしろ普通だろうが,それが明確に矛盾した考えならばどちらを取るか検討が必要だろう。この検討もやはりソクラテスの方法によるしかないように思う。つまり自分の考えを他者の考えと擦り合わせて吟味すること。哲学ジャムがそういう場であることは言うまでもない。
 次回は9月19日(火)午後6時半からの予定です。

2017年8月13日日曜日

第10回哲学ジャム@函館のご案内

第10回哲学ジャム@函館の開催日程が決まりましたのでご案内します。

日時:8月19日(土)午後2時から
場所:元町「まるたまスクエア」(0138-76-1379)

今回は「哲学ジャム+」として前半は一人の哲学者の著作の一部の読書会とし,後半にその内容について話し合うという企画です。誰を読むかは当日のお楽しみです。いつものように参加費は無料ですが,読書会用のテクストコピー代の実費をいただきます。また「まるたまスクエア」のいずれか一品を注文していただく必要があります。収容人数に限りがありますので,初めて参加する方は下記:鎌田までご連絡ください。

「哲学ジャム@函館」主宰:鎌田雅年(080-3117-2990)

2017年7月20日木曜日

第9回哲学ジャム@函館の報告

 今回はテーマを幾つか考えておいた。そのうち選ばれたのは「フェイクニュースと民主主義」というテーマ。某国大統領のツィッターで有名になった「フェイク(偽の・嘘の)」だが,自分に都合の悪い報道をするメディアに対し,彼はフェイク(偽の)ニュースを流していると批判した。自分に都合がいいこと・悪いことを本当・嘘と断定する,しかも一国の指導者がそういうことをあからさまにやってのけるということは民主主義の危機ではないかと懸念されている。みなさんがどのように考えているのか興味深かったが,話の中心は「民主主義」の方に集中した。
 先ず民主主義(デモクラシー)というものがどういうものかよくわからなかったという感想が出たので,デモクラシーの語源やプラトンの評価を一応説明したが,かつてのように,無条件に民主主義の価値を認めるという訳には行かないというのが既に共通理解となっているようだ。むしろ問題と考えられたのは,民主主義が国民の考え・意志を直接・間接に政治に反映させるプロセスと考えた場合,多数決によって議決する方法は国民全体の意志を反映しないことになるのではないかという問題。つまり現在の安倍政権のように,与党が過半数を占めている場合,国会で丁寧な議論を経なくとも議案は可決されてしまうということ。少数者の考え・意志を立法の場でできるだけ取り入れることが,民主主義が機能しているということだろう。野党はもちろん与党の横暴を批判しなくてはならないが,与党も立法や政策決定のプロセスを透明化して議論を尽くしたことを国民に納得させる説明責任がある。現在の大臣などがそのような説明を回避することに汲々としているのを見るのは一国民として情けない。大臣を任命するのは総理大臣だが,議員を選ぶのは国民だ。比例代表制はその意味で無能な議員を当選させる道にもなっている。いずれにせよ運用次第だが,選ぶ側の資質が問われる。
 選ぶ側の資質の問題というのは結局は教育の問題だが,民主主義に関わる限りでは,自分の考えを明確に持てるかどうかという問題になる。老若男女が常に,何についても自由に議論できる場と個人の資質が必要となる。前者は小はここの「哲学ジャム」の場であり,大は国会であろう。後者の資質を育てるには,やはりソクラテスの方法しかないように思われる。つまり一対一の問答で自他の考えを吟味するということ。現在のネット社会の自分と同じ考えを持った者たちが集まるような場では民主主義を機能させるための個人の資質は全く育たない。もちろん意見の異なる人を受け入れる寛容心も育たない。ヴォルテール自身の言葉ではないようだが,次の言葉が思い出される。

「私はあなたの意見には反対だが,あなたがそれを言う権利は命を懸けて守る。」

以上,今回の議論の内容を私見を交えてまとめてみた。今後も哲学ジャムを民主主義を学び,実践する場として運営していこうと考えている。

次回予定は8月19日(土)午後2時からです。

2017年7月11日火曜日

第9回哲学ジャム@函館のご案内

第9回哲学ジャム@函館の日程が決まりましたのでご案内します。

日時:7月18日(火)午後6時30分より2時間程度
場所:元町「まるたまスクエア」(0138-76-1379)

今回は主宰者からテーマをいくつか提供して話してみたいと考えています。参加費は無料ですが,「まるたまスクエア」のいづれか一品を注文していただく必要があります。収容人数に限りがありますので,参加希望の方は下記:鎌田までご連絡ください。

「哲学ジャム@函館」主宰:鎌田雅年(080-3117-2990)

2017年6月27日火曜日

第8回哲学ジャム@函館の報告

これまではいつもテーマで悩んでいたので,第8回は他の哲学カフェのやり方を参考にして,前半は雑談をしてもらってその中からテーマを見つけ,後半でそのテーマについて議論を深めるという試みをした。しかしなかなかテーマにするような話題が定まらず,雑談に終わってしまったような回だった。カフェによってはあらかじめ30~40分ほど講義・講演をしてもらってそのテーマについて意見交換をするというやり方もあるようだが,アカデミック過ぎるように思われる。次回はこちらからいくつかテーマを提案してみようと思う。時事問題・個人的に興味のあるテーマなど,基本的に何でも話せるということがわかってもらえれば,テーマも考え易くなるのかもしれない。

2017年6月5日月曜日

第8回哲学ジャム@函館のご案内

第8回哲学ジャム@函館の日程が決まりましたのでご案内します。

日時:6月13日(火)午後6時30分より2時間程度
場所:元町「まるたまスクエア」(0138-76-1379)

今回は通常の哲学ジャムです。参加費は無料ですが,場所を提供してくれる「まるたまスクエア」のいずれか一品を注文していただく必要があります。ピロシキセット・ボルシチセットなどもあります。収容人数に限りがありますので,参加希望の方は下記:鎌田までご連絡ください。

「哲学ジャム@函館」主宰:鎌田雅年(080-3117-2990)

2017年5月31日水曜日

第7回哲学ジャム@函館「哲学ジャム+」の報告

今回は「哲学ジャム+」として,ミニ読書会をした上で議論するということを試みた。読書会はプラトン『饗宴』(朴一功訳)の「ディオティマの話」をみなで読んだが,その前にそれまでの演説者の内容を簡単に解説した。エロースという神を賛美する話なので,議論が性愛の話だけに集中しないように注意した。「ディオティマの話」でみなさんがやや抵抗を感じた点は,エロースの上昇過程の出発点で,最初に一人の美しい少年を愛すると言われた点だった。異性であれ,同性であれ,表面的に美しい人よりも内面的に美しい人を愛するのではないかというのだ。出席者は女性が多いので,最初からあからさまにイケメンがいいとは言えなかったのかもしれないが,やはり最初は見た目の美しさに惹かれるのではないかと問うた。この点については納得してもらった人も,もらえなかった人もいた。次に,他にも美しい人がおり,その人たちの持つ美は同じであるという段階に進むという点がまた難しいということだった。この箇所はエロースをドンファン的にも読めるところであり,いわゆる「プラトニック・ラブ」とも矛盾するところである。しかしプラトンの主旨は明快であって,エロースが一つの美に執着して,その上昇が阻まれることから解放されることが必要だということである。性愛において相手に執着するということはむしろ自然なことであるから,ここでプラトンが求めていることは動物としての人間にとっては反自然的なことかもしれない。しかし人間の神的な部分にとっては美(ひいては善)についての視野の拡大を阻むものである。その意味で,一つの対象へのエロースの束縛からの解放は神的な部分を持つ人間にとっては自然であるだろう。当日はここまで説明はできなかった。さらに最終段階の美のイデアの直観については,私もそんなところへは到達していないから説明できるわけもないのだが,その未到達の自覚がむしろ大切であろうと言うに留めた。その自覚がないと,さらなる美の経験に開かれて行かないだろうということだ。

全体として「ディオティマの話」をどう理解するかということに終始したが,「哲学ジャム+」としてはこういうことでいいのかもしれない。参加者の中にはいつもの「ジャム」よりも難しいという意見も出た。しかし「哲学ジャム+」としては哲学書のエッセンスのような箇所を読むことになろうし,恐らくそこが一番難しいけれども,一番面白い箇所なのだ。今後の「ジャム」の方で今回の議論が深められれば良いと考えている。

次回は6月13日午後6時30分の予定。

2017年5月13日土曜日

第7回哲学ジャム@函館のご案内

第7回哲学ジャム@函館の日程が決まりましたのでご案内します。

日時:5月23日(火)午後6時30分より
場所:元町「まるたまスクエア」(0138-76-1379)

今回は「哲学ジャム+」として議論する前に読書会を行います。読書会では哲学書の一節を読み,議論のきっかけとします。どの哲学書を読むかは当日のお楽しみです。なお,参加費は無料ですが,会場を提供していただく「まるたまスクエア」のいずれか一品を注文していただく必要があります。収容人数に限りがありますので,参加希望の方は下記:鎌田までご連絡ください。

「哲学ジャム@函館」主宰:鎌田雅年(080-3117-2990)

2017年4月18日火曜日

第6回哲学ジャム@函館の報告

テーマを考えるのが難しいと言うので今回はこれまで難しそうなので避けてきたテーマにトライすることにした。テーマは「親子関係」。哲学的には特に親子関係に限らず,人間関係一般に話を広げて議論することにした。

このテーマに入る前にどのテーマにするか話していたのだが,Nさんが近江商人の「三方よし(売り手よし,買い手よし,世間よし)」という教えを学びという観点から考えてみたらどうかという提案があった。これに対し,Chiさんがスーパーで買った大根にやや異常なところがあったので交換してもらった話,Tさんは骨折を見逃した若い医者に対してちゃんと教育するよう院長に申し入れた話をしてくれた。どちらも買い手の側からの話だが,これらの場合はどちらも相手の対応が迅速で気持ちの良いものだったということだった。こういう関係は売り手や買い手の一種の学びということになるだろうし,ひいては「世間よし」ということにもなるだろう。ここで人間関係という話に戻った。

Chiさんは外面(そとづら)のいい母親の愚痴を聞くのがシンドイという経験を話し,Nさんは家族に話を流し聞かれる義母の話の聞き役になってしまった話をしてくれた。男は一般に話を流して聞くのが下手なのではないかと私が尋ねると,Mさんは家庭環境のせいか,全く苦にならないと言う。これは慣れの問題かもしれない。またTさんは自分の暮らす施設である夫婦の様子を見ていて,夫婦だけでは交わされないような言葉を周りから掛けられることによって病気の奥さんの方がめきめき回復してゆく姿に言葉の力を感じたと話された。その言葉にはマクドナルドのマニュアル対応の言葉にはない力があったのだろうとNさん。Kさんは人はいつでも同じ対応ができる訳ではなく,自分の状態・状況によっては天使にも悪魔にもなるのではないかと言う。その悪魔的部分をできるだけ少なくすることも学びの中に入るのではないかと私。Iさんは誰でも裏表があるが,なるべく表だけ見て付き合うようにしていると言う。しかし職場などでは裏の面のうわさを聞くとその人とは付き合いにくくなるとYさんやAさんから意見が出た。これは一種の弱さからくる付和雷同になり,いじめにつながる心理かも知れないという意見。この心理の下にはエゴイズムがあるだろうとChiさん。しかし自分にとって何が善いかは実はなかなかわからないと私。するとIさんは人間はみな善を目指すのではないかと応答。いや,一々の行動を善と思って行うわけではないだろうとMさん。例えば踏切で人を助けようと思って亡くなった人は善をなそうと思って踏切に飛び込んだわけではなく,ほとんど反射的行動だったのではないだろうかと私。しかし反射的行動をする前に少しは考える余裕を持って欲しいと,残された人を思い遣ってのNさんの意見。人はこのような行動を善行あるいは勇気ある行為とみるが,本人は一々そう考えて行動しているのかどうか疑問は残る。また美談は大いに語られるが,醜聞は密かにささやかれる。

人間関係を巡って個々の経験から何が自分にとっても相手にとっても善いことになるかを考えて行為する必要があるが,それが何かを見い出すのはなかなか難しいという結論になった。

次回は5月23日(火)に「哲学ジャム+(プラス)」として,最初に小読書会をしてから議論をする予定です。

2017年4月11日火曜日

第6回哲学ジャム@函館のご案内

第6回哲学ジャム@函館の日程が決まりましたのでご案内します。今月から毎月一回のペースで開催予定です。

日時:4月18日(火)午後6時30分より
場所:元町「まるたまスクエア」(0138-76-1379)


参加費は無料ですが,会場を提供していただく「まるたまスクエア」のいずれか一品を注文していただく必要があります。収容人数に限りがありますので,参加希望の方は下記:鎌田までご連絡ください。尚,当日話してみたいテーマを考えて来てもらえたら助かります。

「哲学ジャム@函館」主宰:鎌田雅年(080-3117-2990)

2017年3月21日火曜日

第5回哲学ジャム@函館の報告

今回の参加者は女性ばかり6名のガールズトークになりました。それで特にテーマを決めることもなく,井戸端会議的に流れのままに話してもらった。Trさんの骨折の話あり,骨折からライフスタイルを変えるに至ったTgさんの話。Tgさんの意外な経歴の話。哲学の議論とはちょっと違うがたまにはこういう話も良しとしよう。哲学と言うと男性がするものというイメージだが,なぜか哲学ジャムでは女性が多い。文化センターでの私の講座でもほとんどが女性だ。私は是非男性にも来て欲しいのだが。集まった女性たちの意見では,男たちは会社や仕事で自分の本心を抑圧して生きて来ただろうから,このような場を作ってもそう簡単には本心で語り合うということができないのではないか,とのこと。そういう男たちばかりでもないだろうから次回からはまた男性たちに復帰してもらいたい。という訳で今回はまとめ切れませんでした。

次回からは月に1回のペースで開催予定です。たまには趣向を変えて「哲学ジャム+」として哲学書を少し読んでそれについて議論するということもやってみたいと考えています。次回はまだこれまで通りのスタイルで4月18日を予定しています。

2017年3月3日金曜日

第5回哲学ジャム@函館のご案内

第5回哲学ジャム@函館の日程が決まりましたのでご案内します。

日時:3月14日(火)午後6時30分より
場所:元町「まるたまスクエア」(0138-76-1379)

参加費は無料ですが,会場を提供していただく「まるたまスクエア」のいずれか一品を注文していただく必要があります。収容人数に限りがありますので,参加希望の方は下記:鎌田までご連絡ください。尚,当日話してみたいテーマを考えて来てもらえたら助かります。

「哲学ジャム@函館」主宰:鎌田雅年(080-3117-2990)

2017年1月21日土曜日

2017年1月17日 第4回哲学ジャム@函館の報告

今年初めての第4回は事前連絡をあまりもらえなかったので参加者は少ないかなあと思っていたが,結局は私を含めて10名の参加があった。いつも通り,呼び名とテーマを書いてもらい,それを見ながら雑談を始めた。この入り方は,きっちりテーマを決めてから議論に入るこれまでとは違うのだが,特にこうしようと決めていたわけではない。ただ,ジャムに入る前の離陸時間をできれば雑談にできたらとは思っていた。これはどんなメンバーでもできるわけではないので行き当たりばったりの予定だった。書いてもらったテーマについて,その一人ひとりと話しながら,注文したものを待つ。

ピロシキを食べたり,コーヒーを飲んだりしながら,このジャムの目的やこれまで話されて来たテーマについて説明していると,話が第1回で話された話題になった。「一人で哲学はできるか」という問いだったが,その時私は自己満足をどう打破するかという点に疑問があったので否定的だったが,その後は条件付きで可能という考えになった。その条件は,常に自己批判できる場合のみ一人で哲学可能ということだ。これはなかなか難しい条件であり,私自身も難しいと思っているので哲学ジャムのような,自他の吟味の場を作ったという話をした。

雑談も一段落したようなのでPochiさんが提出した「自己とは何か」というテーマを説明してもらう。「自分はこれまで幸せとは自分の幸せであって,他人の幸せは時には妬みの対象にこそなれ,自分の幸せとは無縁と思っていたが,この頃は周りのものが楽しくしていると自分も幸せな気分になることに気付き,自己というものの境界が不分明になってきた」のでこういうテーマを提示してみたということだった。これに対し,Iさんから自我と自己とは違うと思うという意見。自我とは「我が強い」というときの自我で,Iさんがそういうことを自覚するのは他人(ひと)の信仰の態度を見て,豊かな生き方をしていると思い,自分もそうありたいと思うが,自我が強くて自分のやりたいことを捨てられないときだそうだ。かと言って,自我が強過ぎて社会と折り合って行けないほどではないから,自我を抑える自己もまた別にあると思う,ということだった。

この後,宗教についての話がしばらく続いた。脈絡なく紹介すると,チーチャンは女性が結婚するときに人によっては仏教の宗派や宗教そのもの(仏教かキリスト教かなど)の選択を迫られるということを指摘した。ハルコさんは即身仏となるような人も迷いというのはあるのではないかと疑問を呈した。Pochiさんは西洋は一神教の世界であって,哲学の世界でも神は最も重要な考察の対象であり,そういう世界観の偏りをニーチェが「神は死んだ」という警句で示したのだという意見を述べた。日本人はそういう意味での西洋的な神の経験を持たず,むしろ自然信仰に基づく多神教的な世界の中に生きている。だから信仰を持たないと言っても西洋人の無神論者とは違う,と私。さらにNHKのテレビ番組に触れ,レヴィ・ストロースが現代日本人に野生の思考と科学技術の融合と調和を見ているとコメント。

この辺りでMさんが「限界」ということについて考えてみたいという提案。「体力の限界,能力の限界,自分の限界などと言われる。無限というものが考えられるのになぜ限界を考えてしまうのか。自分て作っている壁でしかないのではないか」とMさん。「人間の認識の発達ということを考えると数でも空間でも,無限より有限の方が認識しやすい。無限は先ずは有限の対立概念として把握され,その後「空」も無限の空間として認識可能になったのではないか」と私。それを受けて,全く別の角度からTKさんが自分の近況を語りながら,それまで自分で設定していた「限界」が限界と感じられなくなった経緯を披露。以前より積極的になったとのこと。

また別の角度からチーチャンが死を目前にした父親に自分の感謝の気持ちを伝えたときに父親が「怖い」という言葉を漏らしたという経験を語り,父親にそう言わせたのは自分ではないかという自責の念があると言う。「死が怖い」という正直な表白はなかなか他人には言えないものではないか。やはり非常に身近に感じている人間にしか言えないことだと思う。その意味でチーチャンは父親にとって最後にそれを言える存在になったということだろう。「死の恐怖」の感覚についてはPochiさんも夜中に一人目覚めたときに感じることがあると言う。その時はそばに誰もいない,暗いというのが重要で,耐えられない場合は部屋を明るくするということだった。これには同じ感覚を経験した方もいた。

以上,今回は展開に連続性,あるいは一貫性があまりなかった。これを反省点とするかどうかはわからない。いろいろな話題が出て来たことを良しとするか,一つのテーマを掘り下げられなかったことが良くないと見るか。後者の反省点はこれからのジャムで未消化の話題を展開させることで解決できることではある。

次回は3月14日を予定しています。

2017年1月5日木曜日

第4回哲学ジャム@函館のご案内

第4回哲学ジャム@函館の日程が決まりましたのでご案内します。

日時:1月17日(火)午後6時30分より
場所:元町「まるたまスクエア」(0138-76-1379)

参加費は無料ですが,会場を提供していただく「まるたまスクエア」のいずれか一品を注文していただく必要があります。収容人数に限りがありますので,参加希望の方は下記:鎌田までご連絡ください。尚,当日話してみたいテーマを考えて来てもらえたらうれしいです。

「哲学ジャム@函館」主宰:鎌田雅年(080-3117-2990)