テーマを考えるのが難しいと言うので今回はこれまで難しそうなので避けてきたテーマにトライすることにした。テーマは「親子関係」。哲学的には特に親子関係に限らず,人間関係一般に話を広げて議論することにした。
このテーマに入る前にどのテーマにするか話していたのだが,Nさんが近江商人の「三方よし(売り手よし,買い手よし,世間よし)」という教えを学びという観点から考えてみたらどうかという提案があった。これに対し,Chiさんがスーパーで買った大根にやや異常なところがあったので交換してもらった話,Tさんは骨折を見逃した若い医者に対してちゃんと教育するよう院長に申し入れた話をしてくれた。どちらも買い手の側からの話だが,これらの場合はどちらも相手の対応が迅速で気持ちの良いものだったということだった。こういう関係は売り手や買い手の一種の学びということになるだろうし,ひいては「世間よし」ということにもなるだろう。ここで人間関係という話に戻った。
Chiさんは外面(そとづら)のいい母親の愚痴を聞くのがシンドイという経験を話し,Nさんは家族に話を流し聞かれる義母の話の聞き役になってしまった話をしてくれた。男は一般に話を流して聞くのが下手なのではないかと私が尋ねると,Mさんは家庭環境のせいか,全く苦にならないと言う。これは慣れの問題かもしれない。またTさんは自分の暮らす施設である夫婦の様子を見ていて,夫婦だけでは交わされないような言葉を周りから掛けられることによって病気の奥さんの方がめきめき回復してゆく姿に言葉の力を感じたと話された。その言葉にはマクドナルドのマニュアル対応の言葉にはない力があったのだろうとNさん。Kさんは人はいつでも同じ対応ができる訳ではなく,自分の状態・状況によっては天使にも悪魔にもなるのではないかと言う。その悪魔的部分をできるだけ少なくすることも学びの中に入るのではないかと私。Iさんは誰でも裏表があるが,なるべく表だけ見て付き合うようにしていると言う。しかし職場などでは裏の面のうわさを聞くとその人とは付き合いにくくなるとYさんやAさんから意見が出た。これは一種の弱さからくる付和雷同になり,いじめにつながる心理かも知れないという意見。この心理の下にはエゴイズムがあるだろうとChiさん。しかし自分にとって何が善いかは実はなかなかわからないと私。するとIさんは人間はみな善を目指すのではないかと応答。いや,一々の行動を善と思って行うわけではないだろうとMさん。例えば踏切で人を助けようと思って亡くなった人は善をなそうと思って踏切に飛び込んだわけではなく,ほとんど反射的行動だったのではないだろうかと私。しかし反射的行動をする前に少しは考える余裕を持って欲しいと,残された人を思い遣ってのNさんの意見。人はこのような行動を善行あるいは勇気ある行為とみるが,本人は一々そう考えて行動しているのかどうか疑問は残る。また美談は大いに語られるが,醜聞は密かにささやかれる。
人間関係を巡って個々の経験から何が自分にとっても相手にとっても善いことになるかを考えて行為する必要があるが,それが何かを見い出すのはなかなか難しいという結論になった。
次回は5月23日(火)に「哲学ジャム+(プラス)」として,最初に小読書会をしてから議論をする予定です。