2018年2月12日月曜日

第16回哲学ジャム@函館開催のお知らせ

第16回哲学ジャム@函館開催をお知らせします。

日時:2月20日(火)午後6時半から
場所:元町「まるたまスクエア」(0138-76-1379)

今回は通常の哲学ジャムです。みなさんそれぞれ話してみたいテーマを持ち寄って来てください。前回深められなかった点,よくわからなかった点を改めて考えてみたいというものでもいいですね。参加費は無料ですが,会場を提供してくださっている「まるたまスクエア」のいずれか一品を注文していただく必要があります。収容人数に限りがありますので,初めてご参加の方は下記:鎌田までご連絡ください。

「哲学ジャム@函館」主宰:鎌田雅年(080-3117-2990)

2018年2月8日木曜日

第15回哲学ジャム@函館の報告

今回は「哲学ジャム+」の第3回目。第1回はプラトン『饗宴』,第2回はデカルト『省察』を読んで来たが,第3回はカントの『純粋理性批判』の序文の一部を読んでみることにした。序文も第1版への序文と第2版への序文があるが,第1版の序文冒頭と,第2版への序文の中の「コペルニクス的転回」として有名な箇所を読むことにした。読む前に,取り敢えずカントが直面した問題を理解してもらうため,カントまでの哲学の状況をざっと説明した。デカルト以降の合理論の展開とロックからヒュームへの経験論の発展があったこと,それと並んでニュートン物理学が成立したこと。政治思想としてはロックやルソーの社会契約論に基づく市民革命の時代に入って来たこと。文学・芸術においてはゲーテやベートーヴェンと同時代であったことなどを,頭に入れてもらった。

先ず第1版への序文を読んでみた。最初から日常的にはあまり使わない「理性」「経験」などの言葉が当たり前のように使われていること,さらに初めて聞くような「ア・プリオリ」という述語に至っては,みなさん,面食ったようだ。そこで主宰者としては,これらの哲学用語をわかり易く噛み砕いて説明しないといけないのだが,何しろこちらの理解もおぼつかないので大変だ。読んだ部分の要約などはとてもできないので,日常的な意味とは違った意味で使われている言葉や「ア・プリオリ」というような初めて聞く言葉の意味の説明を幾つかまとめることで今回の報告とさせていただきます。

・「理性」…日常的には「彼は理性的だ」とか「理性的な行動」というふうに,人や行為の性質を示す言葉で,この例の場合は感情的という言葉と対比的に使われている。したがって感情的というのが「熱くなる」のに対し,理性的というのは「冷静である」と言われもする。日常的にはこのくらいの区別で十分だが,カントの場合は冷静であることによって何が遂行できるかの方が問題だ。つまり冷静であることによって「筋道を立てて考えることができる」ということが「理性的」という言葉の意味となるだろう。さらに理性を感性や悟性と区別するためにカントは様々な説明をしているが,ジャムでは簡単に「物事の原因を追究する能力」としておいた。「なぜと問う能力」と言っても良い。この意味での理性が起動力となって,感性に与えられた不定形の表象を一定の概念のもとに統一して一つの経験を成立させるというのが理性の働きの大まかな説明となる。

・「経験」…日常的には人が実生活で出会う事柄,あるいはその蓄積を示し,個人的なものと思われるが,カントにおける経験はもっと広く,人間ならだれでも持ち得る感覚的・知的情報である。「目の前にコップがある」「それにはビールが入っている」「飲むといい気分になる」など私たちはいろいろの感覚的・知的情報を持つが,経験は感性と悟性と理性がそれぞれ別個の役割をして成立する。感性は感官に与えられた感覚情報を時間・空間の中に定位させる。判断力はそのように定位された表象を純粋悟性概念(いわゆるカテゴリー)という枠組みに嵌め込んで判断を形成する。ここで初めて「目の前にコップがある」「それにはビールが入っている」という判断が可能になる。日常的には一々こういうことを意識してはいないのはもちろんで,ただ「目の前に美味しそうな飲み物がある」と思うだけだ。しかしカントが面白いのは「美味しい」とか「いい気分になる」という評価を単なる経験的判断にしておかないで,普遍妥当的な判断にするためには何が必要かと考えたことだ。カントはそういう評価に例えば原因の概念が関与していると考えた。何度もビールを飲んでいい気分になったからそう判断するだけでは普遍妥当性を持たず,これに原因・結果の関係概念を適用することによって普遍妥当的な判断になると考えた。この原因概念の適用にさらなる完全性を求めるのが,理性であり,どこまでも「なぜ,なぜ…」と問い続ける。そしてその答えを求めるために経験を超えたものにまで悟性概念を適用しようとする。カントが『純粋理性批判』で明らかにしようとしたのは,この理性の違法な適用によっては何も証明できないということだった。

・「ア・プリオリ」…ラテン語の原義は「より先に」という意味だが,哲学史的にはアリストレテス以来の伝統的意味がある。アリストテレスは「より先(プロテロン)」「より後(ヒュステロン)」を様々に区別していて,時間的な先後,能力の先後(つまり優劣),さらに感覚に即した先後,説明方式(ロゴス)に即した先後などが区別される。カントのア・プリオリはアリストテレスの「ロゴスに即した先」に近い。「時間的な先」ではなく,「論理的な先」とも言えるだろう。つまり人間の経験が成立するための前提条件として人間が予め持っているという意味で「前提」の「前」や「予め」という意味での「先」である。カントはそういう意味で,人間は時間・空間という感性の直観形式や,判断の枠組みとしての純粋悟性概念を「ア・プリオリ」に持っていると言うのである。

以上,ジャムで説明しなければならなかった言葉に改めてこの場で説明を加えることで第15回哲学ジャム+(プラス)の報告に代えさせていただきます。

次回第16回哲学ジャム@函館の開催予定は2月20日(火)です。一週間前になったらこのブログと北海道新聞「みなみ風」に案内を投稿・掲載してもらう予定です。