今回はテーマを幾つか考えておいた。そのうち選ばれたのは「フェイクニュースと民主主義」というテーマ。某国大統領のツィッターで有名になった「フェイク(偽の・嘘の)」だが,自分に都合の悪い報道をするメディアに対し,彼はフェイク(偽の)ニュースを流していると批判した。自分に都合がいいこと・悪いことを本当・嘘と断定する,しかも一国の指導者がそういうことをあからさまにやってのけるということは民主主義の危機ではないかと懸念されている。みなさんがどのように考えているのか興味深かったが,話の中心は「民主主義」の方に集中した。
先ず民主主義(デモクラシー)というものがどういうものかよくわからなかったという感想が出たので,デモクラシーの語源やプラトンの評価を一応説明したが,かつてのように,無条件に民主主義の価値を認めるという訳には行かないというのが既に共通理解となっているようだ。むしろ問題と考えられたのは,民主主義が国民の考え・意志を直接・間接に政治に反映させるプロセスと考えた場合,多数決によって議決する方法は国民全体の意志を反映しないことになるのではないかという問題。つまり現在の安倍政権のように,与党が過半数を占めている場合,国会で丁寧な議論を経なくとも議案は可決されてしまうということ。少数者の考え・意志を立法の場でできるだけ取り入れることが,民主主義が機能しているということだろう。野党はもちろん与党の横暴を批判しなくてはならないが,与党も立法や政策決定のプロセスを透明化して議論を尽くしたことを国民に納得させる説明責任がある。現在の大臣などがそのような説明を回避することに汲々としているのを見るのは一国民として情けない。大臣を任命するのは総理大臣だが,議員を選ぶのは国民だ。比例代表制はその意味で無能な議員を当選させる道にもなっている。いずれにせよ運用次第だが,選ぶ側の資質が問われる。
選ぶ側の資質の問題というのは結局は教育の問題だが,民主主義に関わる限りでは,自分の考えを明確に持てるかどうかという問題になる。老若男女が常に,何についても自由に議論できる場と個人の資質が必要となる。前者は小はここの「哲学ジャム」の場であり,大は国会であろう。後者の資質を育てるには,やはりソクラテスの方法しかないように思われる。つまり一対一の問答で自他の考えを吟味するということ。現在のネット社会の自分と同じ考えを持った者たちが集まるような場では民主主義を機能させるための個人の資質は全く育たない。もちろん意見の異なる人を受け入れる寛容心も育たない。ヴォルテール自身の言葉ではないようだが,次の言葉が思い出される。
「私はあなたの意見には反対だが,あなたがそれを言う権利は命を懸けて守る。」
以上,今回の議論の内容を私見を交えてまとめてみた。今後も哲学ジャムを民主主義を学び,実践する場として運営していこうと考えている。
次回予定は8月19日(土)午後2時からです。