2016年12月17日土曜日

教育大「哲学カフェ@はこだて」に参加

本日(12月17日),北海道教育大学函館校主催の「哲学カフェ@はこだて」が開催されました。午前と午後のセッションが予定されていましたが,私は午前のセッションに参加してきました。各テーブルでメンバーが入れ替わりながら全部で3つのテーマについて語り合いましたが,以下簡単にその内容を報告します。

  1. 「幸福について」
  2. 「何に生まれ変わりたいか」
  3. 「優しさとは」
1.「幸福について」ではテーマが大き過ぎるというので司会が都会と田舎の比較という観点から見たらどうかというテーマに絞った。経済的な依存関係からすると田舎に住むものと都会に住むものの幸福の感じ方は同じ,田舎の方が人間関係が深いので幸福,田舎の方が社会が狭く,家族も自然もありから幸福,田舎と都会はそれぞれ特徴があり,どちらに幸福を感じるかはその人次第などの意見が出された。何に幸せを感じるかは,その人が何をしたいのかによるから都会と田舎の比較という観点では決められないという意見もあり,より適切な観点の導入が必要と思われた。

2.「何に生まれ変わりたいか」では,野良猫・金持ちの可愛い女性・人間・また同じ自分・銅像という回答があった。野良猫を答えた方は言葉を持たないところ,裏表のないところがいいという考え。金持ちは今何をするにも,教育を受けるにもお金がかかるから,自分のしたいことをするためにはお金がいるという考え。「可愛い」というのは女性ならみなが持つ願望ということらしい。人間を選んだ方は他のものに生まれ変わるとしてもその生を生きたことがないので不安や恐怖があるが,人間なら想像がつくので,ということだった。「また同じ人間」を挙げた方はニーチェの考え方と断わった上で,そのような覚悟ができる生き方をしたいということだった。「銅像」を挙げた方は人間観察が好きなので生まれ変わって心置きなく人間を観察してみたいということだった。このことに関してヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』という映画に出て来る天使との類似性が指摘された。人間の営みをただ観察しているだけの存在から人間になりたいと思うようになるある天使の話だが,この映画を見てどう考えるかを機会があればまた聞いてみたい。

3.「優しさとは」では,これも考えるヒントとして司会はイソップの「アリとキリギリス」の話から考えてみたらどうかということであった。アリがキリギリスにしたことは優しさなのかという問題設定になる。それはアリが罪悪感を持ちたくないためにしたという意見,アリがキリギリスにしたことは結局自分のためになるという意見,また二宮尊徳の「分度推譲」を持ち出して,優しさが一種社会的なルールになっている場合もあるという意見,優しさとは相手のためを思うことであるからアリのしたことがそれだけでキリギリスのためになっているかどうかは決定できないという意見,見捨てるなど他の選択肢を考慮すると当座をしのぐためにしたことだから優しい行為と言えるという意見が出された。元々のイソップ寓話では「アリとセミ」の話でセミは見捨てられることになっている。教訓としては「備えあれば患いなし」ということだが,ギリシアから北方に伝わるうちにセミがキリギリスに変わったり,アリが施しをしたという話に改変されたということだ。結局自分の罪悪感やまわりまわって自分のために施したというのはエゴイズムからの行為だから,優しさが相手のためを思うということなら優しさの行為ではないということになる。

以上簡単に報告したが,話が続いている限りは設定時間に縛られなくてもいいのではないか。また司会がまとめようとする圧力を意識し過ぎているところがあり,哲学カフェとしては問題の広がりや新たに出て来た問題が確認できたらいいのではないだろうか。

2016年12月2日金曜日

第3回の模様が北海道新聞に掲載されました。

第3回の模様が,11月28日付の北海道新聞夕刊「みなみ風」に『「時間の長さ」哲学』として掲載されました。また11月30日にはFMいるかの「暮らしつづれおり・人ネットワーク」にゲストとして出演させていただきました。詳しくはこちらのブログをご覧ください。

2016年11月17日木曜日

第3回哲学ジャム@函館の報告

今回は教育大の学生さんが多数参加してくれて20名ほどのセッションになりました。様々なテーマが提出されましたが,多数を獲得したのは「時間について」。提出者のTtさんにこのテーマを考えた経緯をまず聞いてみる。Ttさんの話では,年を取るにつれて時間が長く感じられてきて,後ろを振り返りながら歩いているような感じがする。その長さは嫌なことではなく,むしろ余裕を感じるのだが他の人はそういう感じを持つのだろうか,という疑問を抱いたそうだ。ここから参加者に自分の時間についての感じ方を話してもらった。

Fさんは逆に年を取るにつれて時間が短くなると言い,Krさんも子供の時は時間を長く感じたが今は随分短く感じられるとのこと。そこで短く感じられる人と長く感じられる人の割合を確かめるとほとんどの人が短く感じられるという結果だった。Pochiさんからは退屈な授業を受けているときは大人でも長く感じられるという意見が出された。つまり大人でも子供でもそのときの状況によって時間が伸縮して感じられるということになり,Thさんから長い・短いの尺度は何なのかという問いが出された。

時計で測られる均一で非人称的な時間と違い,主観的な伸縮する時間を測る尺度は何かという面倒な問題に到達した。そこでNyrさんから都会で流れる時間と田舎で流れる時間とは違うという考え方があるという話が出た。さらにNyrさんは自分が出した「見る」というテーマと「時間」のテーマがここでクロスしたことに気付き,都会で見るものと田舎で見るものとはその量に違いがあるから量が少ないと時間がゆっくり流れ,多いと速く流れるのではないかという仮説をを提起した。この仮説によると時間の長短は処理する情報量の多寡によるということになる。次はこの仮説の検証に入った。

なぜ子供の時間は長く,大人になると短くなるか:あくまでも比較の問題だが大人と比べて子供は狭い社会の中で生活している。ほぼ家庭と学校の往復の生活であるから情報量は限られる。したがって先の田舎の時間と同じでゆっくり流れるから時間が長く感じられる。これに対し,大人はより広い社会に行き,接触する組織も増え,処理する情報量も増える。したがって都会の時間と同様,速く流れ,短く感じられる。

これで一応子供と大人の時間感覚の違いは説明できたような気になったが,当初のTtさんの時間感覚は説明できるだろうか。セッションの中ではこの問題に立ち返ることはできなかったが,今考えてみると,説明できないようだ。単純に大人の処理する情報量が多いとすると,時間が長く感じられるTtさんの処理する情報量は少なくなっていないといけないからだ。セッションの中では,このような問題意識とは別にKsさんから一つの経験が話された。車で初めて行く場所に行くときには時間が長く感じられるが帰りは短く感じられるというのだ。この経験についてPochiさんから「処理が折りたたまれたんだ」ということが言われた。つまりわかったところは処理を端折られるということらしい。処理する情報量が少なくなった分,時間が短く感じられたのではないかということ。しかしこれは先の仮説と反対の結果だ。先の仮説では処理すべき情報量が少ないと時間が長く感じられるということだったからだ。しかしこの結果は「帰りが短く感じられた」というのではなく,「実際短かった」のではないだろうか。何度も同じことをすると処理速度が短くなるということ。そうだとするとTtさんの感じ方は経験の積み重ねによって(=後ろを振り返りつつ)処理が端折られることができるようになり,処理時間が実際に短くなった分,余った時間が余裕として感じられるということになろうか。

以上,報告以上の考察も加えたが,当日のセッションでは24時間開いているコンビニがあって便利な反面,そこで働いている人は時間に縛られているという話から,ミヒャエル・エンデの『モモ』に出て来る「時間泥棒」の話になったり,さらに某広告会社で自殺に追い込まれた女性の仕事の仕方の話に及んだりした。この最後の話はKnさんの「休日も働くべきか」というテーマにつながり,またOさんの「普通とは何か」やNさんの「常識とは何か」といったテーマにもつながる話だったが,今回はそれほど展開はできなかった。他に今回は取り上げられなかったテーマとして「自分とは何か」,「美とは何か」という興味深いテーマもあった。また機会があれば取り上げてみたい。

次回は来年1月17日の予定です。

2016年11月1日火曜日

第3回哲学ジャム@函館のご案内

第3回哲学ジャム@函館の日程が決まりましたのでご案内します。

日時:11月15日(火)午後6時30分より
場所:元町「まるたまスクエア」(0138-76-1379)

参加費は無料ですが,会場を提供していただく「まるたまスクエア」のいずれか一品を注文していただく必要があります。収容人数に限りがありますので,参加希望の方は下記:鎌田までご連絡ください。尚,当日話してみたいテーマを考えて来てもらえたらうれしいです。

「哲学ジャム@函館」主宰:鎌田雅年(080-3117-2990)

2016年9月22日木曜日

第2回哲学ジャム@函館の報告

第2回哲学ジャム,参加者は私を入れて9名(男子4名,女子5名)。テーマはやはりなかなか出してもらえなかったが,そのうちの「仕事とプライベート」という話題について話してみることになった。哲学的にどう展開できるのか心配ではあるが取り敢えず話してもらう。テーマの発案者はKrさん。哲学的な議論というものに馴染みがなかったので今気になっていることをテーマとしてみたということでした。まだ就職して2年目で仕事とプライベートの区別が付け難いのだが,どう考えて行ったらいいのか,というKrさんの説明から話が始まった。

先ずは仕事とプライベートのどちらを優先するのかという点。あくまでも比重の問題だが,日本の職場では仕事を優先させるという圧力が強いが,外国での仕事経験のあるNさんによると,フランス人はプライベートを優先させるし,それが国としても当たり前となっているということだった。しかし仕事を一緒にする上ではフランス人とはやり難かったという感想だった。日本ではまだまだそこまでプライベートを優先させることはできないだろうという結論。ではどうするか,という人生相談的な話になりそうになった。

次に,仕事によってはプライベートとの境目が曖昧なものあると指摘された。自営業やプログラミングなどは自分の趣味に近い部分で仕事をしている場合もあり,そのときは境目が曖昧になるというのだ。その場合好きなことをしているという意味では幸せであるが,仕事という意識が強くなると趣味の楽しみが失われてしまうという欠点もあるということだった。逆に,業種によっては仕事とプライベートがはっきり区別しやすい職場もあり,出社・退社によってスイッチの入り・切りができるという意見もあった。

8時半くらいで早退メンバーが数人いたので,話題を変えた。今度は私が考えていた「美味しいとはどういうことか」というテーマ。最初はどういうものを美味しいと感じるかという点に話が集中した。そのうちKrさんが誰かとその美味しさを共有できたときにより美味しさを感じるという意見が出た。そこから進行役(私)はその美味しさは本当に共有できているのだろうかと尋ねた。この問いの意味はなかなか理解してもらえなかったが,感覚という実感を伴ったものをいくつか例に出して,その共有がいかに難しいか,いやほとんど困難であることはある程度分かってもらえたと思う。「美味しい」という身近な感覚がいかに他人のそれと遠いかということだ。感覚から視点・観点の話に展開したかったが,今回はこの辺りで時間切れとなった。希望があれば次回また同じテーマについて話してみたい。

次回は11月15日(火)の予定です。

2016年8月22日月曜日

第2回哲学ジャム@函館のご案内

第2回哲学ジャム@函館の日程が決まりましたのでご案内します。

日時:9月20日(火)午後6時30分より
場所:元町「まるたまスクエア」(0138-76-1379)

第1回同様,参加費は無料ですが,会場を提供していただく「まるたまスクエア」のいずれか一品を注文していただく必要があります。収容人数に限りがありますので,参加希望の方は下記:鎌田までご連絡ください。

「哲学ジャム@函館」主宰:鎌田雅年(080-3117-2990)

2016年7月20日水曜日

第1回哲学ジャム@函館報告

第1回哲学ジャム@函館の模様を報告する。第1回ということで私から哲学ジャム@函館設立の経緯を話し,簡単に自己紹介をした後で,最低限のルールを説明した。ルールの最後にテーマはその都度決めるということだったので,テーマの設定に入ったが,これが思っていたよりも難しい。と言うか,哲学のテーマということでみなさん難しく考えてしまったようだ。第1回なのでその場でテーマを考えることは難しいとは思っていたから,予めいくつかテーマは考えていた。「哲学とは何か」「哲学ジャムとは何か」などが初回のテーマとしてはいいのではないかと考えていたことを話し,「哲学のイメージ」というテーマで話すことになった。参加者は12名(女性7名,男性5名)。8名はこれまで哲学の勉強を通じて知っていたメンバーだが,4名とは哲学については初めてお話する。まるたまスクエア自慢のピロシキやボルシチをいただきながら話し始めた。

先ずMさんの哲学のイメージを話してもらう(以下カッコ内は発言者イニシャル)。

(M)科学は数式や記号を使ってアプローチするが,哲学は言葉を使ってアプローチする。

(Kw)アプローチすると言うと目標があることになるが,その目標とは何か。

(鎌田)科学なら様々な自然現象についての疑問の解明ということになるだろう。

(Kw)私の哲学のイメージは「人はどう生きるべきか」を探求するもの。

(M)その場合科学のように一つの答えというものがあるのだろうか。

(鎌田)一人一人の行為を具体的に指示する答えというものはないだろうが,カントが考えたような普遍的な命令という仕方で一つの答えというものを考えることは可能だろう。

(Kr)一つの答えに対しては必ず別の答えを考えたい。白という人に黒や赤と言える社会がいい。

(鎌田)それは表現の自由の問題だが,哲学としては全員が白という意見を持っているときに他の意見の可能性をどう確保するかという問題になるのではないか。つまり全員が間違っているという可能性をどうしたら考えることができるかどうかという問題になる。

このようなことを話し合っているうちに,話は哲学と言葉の関係性という問題に移って行った。その際Kwさんが次のような質問をした。

(Kw)人里離れて自給自足している人が自分なりの生き方を持っているとしたら,その生き方は哲学と言えるのか。私は哲学だと思う。

この問いに対しては大方の人がそれを哲学と言っていいという意見だった。私(鎌田)は哲学をかなり狭い意味で考えており,その原型はソクラテスの問答にあると考えているので他者との言葉のやり取りがない場合は哲学とは考えない。このような狭い意味での哲学観に対してはSさんも宗教的立場から違和感を表明された。このような「哲学」というものに対する考え方の違いはあるけれども,その違いを話せたことはこのような場があればこそという意見にはみなさん同意してくれた。期せずして哲学ジャムの存在意義に触れた形になった。

以上のほかに「哲学の身体性」(Kw),「もっと軽快な思考」(Kr),「世界や人生を知って行く過程としての哲学」(Ks)いうような話も出たが,これらはあまり展開できなかった。今後の課題としたい。

全体として2時間ほどのセッションだったが,第1回としてはよく話ができたと思う。テーマはもう少し気軽に提案できるものでいいのだが,終わりかけにはやはり次のテーマを考えるのが難しいという話がちらほら聞こえてきた。次回は2か月後の9月20日(火)午後6時半からの予定。また改めて当ブログで予告する。

2016年6月21日火曜日

北海道教育大学函館校での「哲学カフェ@はこだて」に参加

「哲学ジャム@函館」を準備しているときに知人から同じような企画があると教えてもらい,昨日参加してきた。自分が開催する前に体験できるというのは大変助かる。基本的に学生が主体となり,授業の一環ということらしいが,学生のみなさんはみな真面目に取り組んでいる様子がうかがえ,気持ちの良いひと時だった。

テーマは「『普通』って何?」「死刑制度について」「あなたが見てるものってホントに正しいの?」「ある朝,虫になっていたら」という4つのテーマから選んで議論するという形。事前には選んだテーマを全体で議論するというイメージだったが,4つのテーマごとにテーブルに分かれて議論するという形式だった。前回の第1回では全体で話したらしいが,なかなか意見が出なかったようで,今回はこういう形にしたそうだ。参加者にもよると思うがやはり「哲学ジャム」の第1回は一つのテーマを全体として話し合ってみたい。

私が参加したテーマは「死刑制度について」「あなたが見てるものってホントに正しいの?」「ある朝,虫になっていたら」の3つ。それぞれのテーマについて「進行役」がいるのだが,哲学的な土俵に持って行くのにかなり苦労しているようだった。すでに哲学的なトピックとして定着していることを論ずるのは,そういう土俵づくりが要らないのですぐに議論に入れるが,「カフェ」の場合はむしろその土俵づくりの方が重要だろう。参加者に共通の,このような議論の場が成立すれば「カフェ」の第一段階は成功と考えていいと思う。できればその次の段階に少しでも進めればいいのだが。

若い人,初めて会う人と議論するということはしばらくなかったし,日常的にはほとんどないので,みなさんの率直な意見が聞けて楽しい時間だった。また話したくなったということは「カフェ」としてはうまくいったということでしょうね。楽しい時間を提供してくれた学生さんたちに感謝します。

2016年6月3日金曜日

第1回哲学ジャムの概要

第1回哲学ジャムの概要が決まりましたので案内します。


日時: 7月19日(火)午後6時30分より
場所: 元町「まるたまスクエア」(0138-76-1379)

 参加費は無料ですが,会場を提供していただく「まるたまスクエア」のいずれか一品を注文していただく必要があります。収容人数に限りがありますので参加希望の方は下記:鎌田までご連絡ください。
 なお,哲学ジャムのルールとして次のようなものを考えています。

1:互いに名を名乗るだけ(仮名も可)。
:他人の話は最初から最後まできちんと聴く。
:他人の著書や意見を引き合いに出して長々と演説をしない。
4:テーマはその都度集まった時点で決める。

 以上は 一般的な哲学カフェのルールを採用したものですが,場合に応じて,参加者のご意見を取り入れ,適宜変更を加えて行こうと考えています。

「哲学ジャム@函館」主宰: 鎌田雅年(080-3117-2990)

2016年5月6日金曜日

哲学ジャム開設について

日頃,文化センターで受講生と共に哲学を勉強していて,哲学がもっと一般市民の間に浸透する必要があると考えていた。が,その一歩を踏み出すことができないでいた。各地,主に関西・関東で「哲学カフェ」という活動が行われていたのは知っていたが,私自身のアプローチとは違う感じがしていた。そのうち,函館でも原発問題が議論されるようになり,憲法の問題も普通に論じられるようになってきた。それらのテーマについてはいろいろな組織・団体がそれぞれの立場から議論していると思われるが,私としてはそういうテーマについても各自の立場を少し離れて議論できるのではないかと考えていた。

取り敢えず一歩を踏み出してみようと思い,近日「哲学ジャム@函館」を開催しようと思う。テーマも未定。場所も未定。参加費は基本無料。形が見えて来たら,いろいろなメディアを利用して案内しようと考えている。