今回は「哲学ジャム+」として,ミニ読書会をした上で議論するということを試みた。読書会はプラトン『饗宴』(朴一功訳)の「ディオティマの話」をみなで読んだが,その前にそれまでの演説者の内容を簡単に解説した。エロースという神を賛美する話なので,議論が性愛の話だけに集中しないように注意した。「ディオティマの話」でみなさんがやや抵抗を感じた点は,エロースの上昇過程の出発点で,最初に一人の美しい少年を愛すると言われた点だった。異性であれ,同性であれ,表面的に美しい人よりも内面的に美しい人を愛するのではないかというのだ。出席者は女性が多いので,最初からあからさまにイケメンがいいとは言えなかったのかもしれないが,やはり最初は見た目の美しさに惹かれるのではないかと問うた。この点については納得してもらった人も,もらえなかった人もいた。次に,他にも美しい人がおり,その人たちの持つ美は同じであるという段階に進むという点がまた難しいということだった。この箇所はエロースをドンファン的にも読めるところであり,いわゆる「プラトニック・ラブ」とも矛盾するところである。しかしプラトンの主旨は明快であって,エロースが一つの美に執着して,その上昇が阻まれることから解放されることが必要だということである。性愛において相手に執着するということはむしろ自然なことであるから,ここでプラトンが求めていることは動物としての人間にとっては反自然的なことかもしれない。しかし人間の神的な部分にとっては美(ひいては善)についての視野の拡大を阻むものである。その意味で,一つの対象へのエロースの束縛からの解放は神的な部分を持つ人間にとっては自然であるだろう。当日はここまで説明はできなかった。さらに最終段階の美のイデアの直観については,私もそんなところへは到達していないから説明できるわけもないのだが,その未到達の自覚がむしろ大切であろうと言うに留めた。その自覚がないと,さらなる美の経験に開かれて行かないだろうということだ。
全体として「ディオティマの話」をどう理解するかということに終始したが,「哲学ジャム+」としてはこういうことでいいのかもしれない。参加者の中にはいつもの「ジャム」よりも難しいという意見も出た。しかし「哲学ジャム+」としては哲学書のエッセンスのような箇所を読むことになろうし,恐らくそこが一番難しいけれども,一番面白い箇所なのだ。今後の「ジャム」の方で今回の議論が深められれば良いと考えている。
次回は6月13日午後6時30分の予定。