今回のテーマは「心の強さ」とは何か。ある方から,「教え子が社会に出てから心の強さを持つことが必要になっているようだ。哲学をすることで心の強さを得られるのではないか」という話を聞いた。前回の哲学ジャムの報告でたまたまストア派の「不動心(アパテイア apatheia)」に触れたので,それらを絡めたら一つのテーマになるのではないかと考えた。最初にChiさんが「不動明王」というのと何か関係があるかと発言。詳しい人はいなかったのでネット検索してみると,密教経典に「不動明王とは釈迦が悟りを開いた菩提樹下の座禅中に煩悩を焼きつくしている姿」とある。煩悩を焼き尽くしたということであれば,ストア派の情念(パトス)に動かされない(ア)というア・パテイア(不動心)にも通ずるところがある。しかし前者は釈迦の悟りの境地であり,後者は「賢人の理想」であるから,われわれはもう少し身近な「心の強さ」を考えた方がいいのではないかとMyさん。ここで別の角度からTさんが,病気をしたときに,自分の弱さを自覚したが,それも一種の強さのような気がすると言う。そこで教育大生のMiさんが,自分としてはそういう弱さを見せないで仕事なら仕事をするのが心の強さだと思っていると意見。若いうちはなかなか自分の弱さを曝け出すことはできないかも知れないと年長者たちの共感の発言あり。しかしそういう強さにハマってしまうと自殺などに追い込まれかねないと私。ここで教育大生のKさんが少し議論を整理して,ここまでの議論では心の強さを頑固のイメージでとらえているようにみえるが,不動心というのは理性に従うことで到達できる境地だから,頑固とは違うのではないかと発言。これに対しMyさんが,強さといっても鉄の硬さのような強さと,柔軟な強さとは別ではないかと応じた。Msさんは,自分はテーマが決まってから心の強さというより心の弱さのことを考えていて,不動心どころか,いつもああしたらいいのではないか,こうしたらいいのではないかと揺れる自分がいる。しかし後で考えてみるとその揺れの割にはあまり動いていない自分に気づくと言う。Msさんはこれを弱さと考えているようだが,それでも結局あまり動いていないというのは強さと見てもいいのかもしれないと私。心の強さといっても一本の線のようなイメージではなく,ある程度幅のある間を揺れ動いて自分を律して行くというのが現実ではないか。その揺れを肯定的に見ると,幾つかの複数の視点から自分を見ることができる融通性というか,柔軟性が強さにつながるとも思われる。このような強さは一つの価値観しか持たない硬直した「強さ」とは対極にある。以上を今回のジャムのまとめとします。
次回は12月19日(火)に開催予定です。