今回は「哲学ジャム+」としてダンテ『神曲』「地獄篇」から第1歌・第3歌の冒頭・第26歌を山川丙三郎訳で読みました。時代的にも文化的にも遠い人物・作品なので,読書会の前にダンテの生涯と『神曲』について簡単に説明した。ダンテ自身については詩人でありながら政治家でもあったこと,哲学的素養も深かったこと,『神曲』についてはテルツァ・リーマ(三韻句法)という技法を原文を参照しながら説明し,ロベルト・ベニーニの朗読を聞いてみたりした。
山川訳はたまたま主宰者が初めて『神曲』を知った時の訳だったのでテクストとして使わせてもらった。格調高い名訳だと思うのだが,文語なのでみなさん読み難いようだった。前回,「冒険」という話題が出て,『神曲』を読んでみることになったのだが,この日は予定の第26歌までは読んだのだが,内容説明をしていたら9時を過ぎてしまったので意見交換は次回に持ち越しとなった。
今回,冒険と『神曲』を結び付けるきっかけとなったのは村松真理子『ダンテ『神曲』』を読んでいたからだ。その中でユダヤ系イタリア人の作家プリモ・レーヴィの『もしこれが人間ならば』の「ウリッセの歌」という章が紹介されていた。ウリッセとはオデュッセウスのイタリア名である。主人公「私」がアウシュビッツと思われる収容所内で若者と知り合い,たまたまイタリア語を教えることになるのだが,そのうち『神曲』「地獄篇」第26歌のウリッセの話が「私」に生々しく迫ってくる。この話を全て思い出したら命の綱である「今日のスープ」を犠牲にしてもいいとまで思う。レーヴィの収容所体験と『神曲』のウリッセの話がどのように結びついているのか,まだよくわからないが,「私」がウリッセの話に何らかの希望を見い出したことは確かだろう。その希望とは何か。次回はその点について今回と同じ「冒険」というテーマで話してみたい。
次回は6月19日(火)午後6時半からの予定です。