2019年6月28日金曜日

第32回哲学ジャム@函館の報告

第32回は6月18日午後6時半より,「カポBAR@まるたまスクエア」で開催されました。前回のニーチェのことなど思い出しながら話し始めた。たまたま5月末に起きた登戸の事件の話になり,Tさんがテレビの報道を見て「死ぬなら自分だけで死ね」とつい口走ってしまったが,後でそんなことを口走った自分の考えの浅さを感じてしまったと言った。口に出す,出さないは別にして,Tさんのような反応はジャム参加者のほとんどが同じものだったようだ。しかし相手がどんな人であれ,「死ね」と言っていいのかどうか。昼のバラエティ番組では,ある落語家の同様な発言が問題になっていたこともあり,自殺へ向かう心境にある人には,自殺へと突き落とすような発言になってしまうというマスコミでの批判も確認した。この場は「哲学」ジャムなので,自殺に関する哲学的な考察としてカントを紹介した。自殺の禁止を人間の普遍的な義務とするカントは,他者に対しても人格として何らかの手段ではなく目的をみなさねばならないから,当然他者に「死ね」とは言えない。こんなことは誰でも知っているようなことだが,カントの凄さはこの義務を経験的な根拠から導き出していないということだ。つまり何ら経験的実質を含まない,理性のア・プリオリな形式的原理からこのような義務の概念を導き出しているということだ。この辺りの詳しいことは「講義」になってしまうのでジャムでは話さなかった。前回のニーチェもそうだったが,哲学の思考は必ず読者の考え方・生き方を問うことになる。またそうならないと読書する意味もない。ジャムで話されたことも同じであって,終わった後で自分一人になったときにどう考えるかが大事だと思う。

他者に向かって何かを言うときに自分にそれを言う資格があるかと問うことは必要なことではないか。その問う姿勢は「恥らい」あるいは「謙虚」という形で他者に感じ取られるもの,伝わるものだと思う。

次回は7月23日(火)の予定です。

2019年6月5日水曜日

第31回哲学ジャム@函館の報告

第31回は5月14日(火)午後6時半より,「カポBAR@まるたまスクエア」で開催されました。今回は「哲学ジャム+(プラス)」としてニーチェの『ツァラトゥストラはこう語った』から冒頭の「ツァラトゥストラの序説」のうち第1-5節,第10節を読んで意見を交換した。「序説」にはツァラトゥストラの教説の基本概念が散りばめられており(例えば,「没落」「舞踏」「幼子」「神は死んだ」「超人」「末人」「畜群」「正午」等々),ここだけでそれらの概念を理解することは難しい。しかしニーチェの詩的な文体や凝縮された比喩表現などを解きほぐしながら読むことに努めた。ニーチェの批判の矛先が最終的には自分に向かってくることに参加者が気付いてくれるを期待したが,どうだったか。

「没落」は「ツァラトゥストラの没落」と「人間の没落」とでは意味が違うのではないか。「末人」の「まばたき」とは自信の無さなのか,自慢げな様子なのか。など理解がわかれるところもあったが,それもニーチェの表現の独自性,比喩の明晰性と論理的な飛躍の織り成すアマルガムとも言える。

次回は6月18日(火)午後6時半からの予定。