2017年9月20日水曜日

第11回哲学ジャム@函館の報告

今回の哲学ジャム@函館は都合によりいつもの「まるたまスクエア」のちょっと上手の「まるたま小屋」での開催となった。店の雰囲気がちょっと違うのでまた別の気分での哲学ジャムとなった。今回のテーマは「安楽死」。Tさんが橋田寿賀子の安楽死についての本を読んだという話がきっかけだ。私自身あまり考えたことのないテーマだったので,Tさんに説明してもらった。先ずは安楽死と尊厳死の違い。日本ではどちらも法的には整備されていないようだが,前者は前例がなく,後者は事実上,本人や家族の同意のもとに行われているとのこと。安楽死は日本以外ではスイス・ベネルクス三国・アメリカの一部で合法化されている。どうもプロテスタントの宗教的背景もあるように思われるが,これは難しいので掘り下げられなかった。安楽死と尊厳死はそれぞれ積極的安楽死,消極的安楽死とも言われる。死へのプロセス,あるいは本人の姿勢が異なり,安楽死は寿命を縮めても苦痛からの解放を求めるが,尊厳死は本人の意に反する治療行為を拒否する。つまり前者は肉体的・精神的苦痛からの解放を目的とし,後者は人間としての尊厳を守ることを目的とする。出席は女性6人だったが,ほとんどが安楽死に賛同していた(と記憶している)。みなさん,年齢的にも親や祖父母を看取っている人が多く,その看取りが自分の死についての考え方・見方に随分影響していることがわかった。Mさんは義理の母を看取ったことで,人間がどう死んで行くかを知り,それほど怖いものではなくなったと言う。Tさんは夫も娘も看取ったことで自分一人で死ぬ覚悟ができたようだ。Chさんは父親の死に際の言葉が未だに重荷となっていると言う。Fさんは『92歳のパリジェンヌ』という,母の安楽死を巡る家族の様々な思いを描いた映画の話をしてくれた。安楽死の問題をちゃんと扱おうとしたら,「人間とは何か」という問題に行き当たる。本当はここから哲学ジャムが始まるはずなのだが,いつも大体こういう壁に行き当たった時点で時間切れとなる。奇しくも,今回テーマが出なかったときのために私が考えていたテーマの一つが「人間とロボット」。実は事前に「最後の講義」というテレビ番組で石黒浩というロボット工学の専門家がその講義を行ったドキュメンタリーを見ていた。講義の最後のメッセージが「人間はロボットになる」というもの。彼の根本的な問題意識は「人間とは何か」ということであり,先のメッセージはその問いに対する彼なりの答えなのだが,人間がロボットになってしまったら,安楽死はなくなるだろう。死そのものがなくなるのだから。しかし脳をコンピュータに置き換える可能性については否定的な意見も多い(R・ペンローズやJ・P・サールなど)。こういう問題についてはまたテーマにする機会もあるだろう。

最後に自分が死ぬときに誰に看取ってもらいたいかと尋ねると,少なくとも4人は誰にも看取られず一人で死にたいと答えた。これは私としては驚きだった。誰でも結局は誰かに看取られたいのではないかと思っていたからだ。孤独死は別とすると,一人で死ぬとしても医者か看護師はいるだろうが,それにしても意外な答えだった。いざとなるとやはり女性は強いのか。

次回の予定は10月17日(火)です。

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