2020年1月1日水曜日

第38回哲学ジャム@函館の報告

12月は17日火曜日午後6時半より,「カポBAR@まるたまスクエア」で開催されました。話題は次の通り。

1.元農水事務次官熊沢被告の殺人について。
2.死刑について。
3.安楽死について。
4.動物園の高齢動物の延命について。

1.についてはちょうど東京地裁の判決が出たところだったので,やはり最初に話題になった。実刑か執行猶予付きかについてはあまり意見の違いはなかったが,このような家庭状況においては殺人も認められるか否かについては意見は分かれた。どんな状況であろうと殺人はいけないという者,場合によっては容認せざるを得ないという者。前者の考えは死刑廃止論へと向かい,2.の話題に移った。

2.の死刑についての考え方は加害者の立場と被害者および被害者の遺族などに寄り添った立場の違いによって別れるようだ。加害者の人権を擁護する立場からは矯正を目的とする死刑廃止論が生まれ,被害者側の心情を顧慮する立場からは応報的な意味で死刑を認める主張が生まれる。後者の死刑容認は1.の殺人容認と通底している。人が人を殺すということは同じだからだ。カントの道徳論から見ると,自殺は明確に禁止されているが,他者を殺すことも他者の自由を奪うという意味で許されないのではないか。カントの道徳の根底にある意志の自由をあらゆる理性的存在者に認める限り死刑も認められないと思われる。

3.以上の議論から安楽死へと話題が移った。今安楽死を認めている国はオランダ・ベルギー・スイスなどキリスト教圏でもプロテスタントの多い国のようだ。宗教的なインセンティヴ(誘因)がどのくらいあるのかわからないが,意志の自由との関係でみると個人の選択の権利を究極まで認めるということのようだ。しかしできるだけ宗教的な議論を持ち出さないカントでさえ自殺禁止は人間の完全義務としている。カント的な意味で道徳的であろうとすることはとても難しいことであり,非常に苦しい病気を患っているときには安楽死を望むかもしれない。しかし自分がそういう状況に置かれたときに何を選ぶか,そこにその人の道徳性(人格)が現れることは間違いない。

4.次に人間の安楽死の議論から動物の安楽死の話題に移った。日本の動物園では高齢の動物でもできるだけ生かそうとするのに,欧米の動物園関係者は人間の世話を受けなければ生きられなくなった動物は安楽死させるべきだとい言うが,これは動物保護という観点から見てどうなんだろうかという疑問が出された。人間にも安楽死を認めるならば,動物にも認めて良いようにも思えるが,動物には上で述べたような意志の自由があるとは思えない。自由意志がないならどう扱っても良いか? キリスト教圏では肯定的な答えが返って来そうだが,「山川草木悉皆成仏」という言葉のある仏教圏では否定的だろう。だから日本では動物園でも安楽死をさせるには抵抗があるのだろう。

以上のような問題を宗教的な前提なしに考えたいというのが哲学ジャムの立場だが,それがなかなか難しい。特に日本では仏教や神道が日常化し,常識となってしまっているので,そういう常識をそぎ落とすのはなおさら難しい。先ずはそういう常識の根底に宗教的な思い込みがないかどうかを吟味する作業が必要だろう。その作業がソクラテスの吟味(エレンコス)に他ならない。

次回は翌年1月21日(火)の予定。

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